李鉉道SMHC株式会社 代表取締役

DX・AI時代に見落とされがちな「感知価値」
なぜ優れた企業は“問題そのもの”ではなく“不安”を解決するのか
そこでは、オグルヴィ(Ogilvy)の副会長であり、行動経済学をビジネスに応用する第一人者として知られるロリー・サザーランド氏が、「心理的ムーンショット(Psychological Moonshot)」という考え方について語っていました。
この考え方は、DX、AI活用、プロダクト開発、組織改革、さらには人材育成にまで応用できる非常に重要な視点だと感じています。
特に経営者やマネージャー、プロダクト責任者の方には、一度立ち止まって考えていただきたいテーマです。
「列車を10倍速くする」のは難しい
まず、こんな問いを考えてみてください。
列車の速度を10倍にするには、どれくらいのコストがかかるでしょうか?
答えは、ほぼ現実的ではないほど莫大な投資です。
線路を作り直し、車両を刷新し、安全基準を見直し、インフラ全体を再設計する必要があります。
しかし、
「この列車は10倍快適だ」
と乗客に感じてもらうだけならどうでしょうか。
Wi-Fiを整備する。 座席を改善する。 食事を少し良くする。 サービス品質を高める。
これだけでも体験価値は大きく変わります。
しかもコストは比較にならないほど小さい。
ここに、サザーランド氏が提唱する「心理的ムーンショット」の本質があります。
私たちは問題解決を間違えているかもしれない
多くの企業は、課題が見つかると真っ先に物理的な改善を考えます。
例えば、
アプリが遅い → サーバー増強
配送が遅い → 倉庫増設
問い合わせ対応が遅い → 人員追加
業務が非効率 → システム刷新
もちろん、これらは必要です。
しかし問題は、
「本当に解決すべき課題はそこなのか?」
ということです。
サザーランド氏は、
人が感じる価値(感知価値)と、物理的な価値は同じくらい重要である
と語っています。
しかも多くの場合、
感知価値の改善は、物理的改善の何十倍、何百倍ものレバレッジを持つ
というのです。
ユーロスターの事例が示すもの
イギリスとフランスを結ぶ高速鉄道「ユーロスター」。
ロンドン〜パリ間は約2時間15分です。
当時、鉄道会社はこう考えました。
もっと速くすれば利用者が増えるはずだ
そこで検討されたのが、線路を改修し、列車速度を大幅に向上させる計画でした。
投資額は約60億ポンド。
しかし、その結果短縮できる時間は約30分程度でした。
そのときサザーランド氏は、まったく異なる提案をします。
その予算の1%でWi-Fiを導入し、食事を改善し、サービス品質を高めたらどうか
というものです。
エンジニアは、
「どうすれば移動時間を短くできるか」
を考えていました。
一方でサザーランド氏は、
「どうすれば移動時間を快適に感じてもらえるか」
を考えていたのです。
これは単なる発想の違いではありません。
問題の定義そのものが違います。
Uberが解決したのは「待ち時間」ではない
もう一つ有名な例があります。
Uberの地図表示です。
配車後、アプリ上で車が近づいてくる様子がリアルタイムで表示されます。
ここで考えてみてください。
あの地図が導入されたことで、
車は速くなったのでしょうか?
答えは違います。
到着時間はほとんど変わっていません。
それでも、
キャンセル率は低下
顧客満足度は向上
リピート利用は増加
しました。
なぜでしょうか。
人が嫌なのは「待つこと」ではない
サザーランド氏はこう説明します。
人が本当に嫌なのは、
待つことではなく、不確実性である
ということです。
例えばタクシーを待つとき、
本当に来るのか
あと何分なのか
道に迷っていないか
が分からない状態は非常にストレスになります。
つまり問題は、
「5分待つこと」
ではなく、
「あと何分待つか分からないこと」
だったのです。
Uberの地図は待ち時間を短縮していません。
しかし、
不確実性を可視化した
のです。
そしてそれによって体験価値を劇的に向上させました。
これこそが心理的ムーンショットです。
DXやAI導入でも同じことが起きている
私はSMHC株式会社で、AI活用支援やDX推進、人材育成に携わっています。
その中で感じるのは、
多くの企業が「物理的改善」に集中しすぎているということです。
例えば、
AIツールを導入する
システムを刷新する
業務を自動化する
これらは重要です。
しかし現場で本当に起きている問題は別の場合があります。
例えば、
AIをどこまで使ってよいか分からない
判断基準が共有されていない
誰に相談すればよいか分からない
自分の仕事がどう評価されるか分からない
進捗状況が見えない
こうした不確実性です。
実際には、
システムの性能不足よりも、
「分からないことによる不安」
のほうが生産性を下げているケースは少なくありません。
経営者が見るべき本当の課題
ユーザーや社員は、
「対応が遅い」 「使いにくい」 「不便だ」
と言います。
しかし、その言葉をそのまま受け取るべきではありません。
その裏側には、
放置されている感覚
将来が見えない不安
判断できないストレス
が隠れていることがあります。
だからこそ経営者は、
表面的な課題ではなく、
心理的な課題
を見抜く必要があります。
今日から使える3つの視点
1. まず「物理的問題」か「心理的問題」かを見極める
改善策を考える前に、
これは本当に物理的な問題なのか?
と問いかけてみてください。
意外なほど多くの課題が心理的要因によって発生しています。
2. ユーザーの言葉をそのまま解決しない
「遅い」という声があったとき、
本当に問題なのは遅さでしょうか。
それとも、
進捗が見えないことなのでしょうか。
本質的な課題を見極めることが重要です。
3. 「分からない」を「分かる」に変える
心理的ムーンショットの多くは、
不確実性を減らすことから始まります。
進捗を見える化する
判断基準を共有する
AI利用ルールを明文化する
問い合わせ状況を可視化する
こうした取り組みは大規模投資を必要としません。
しかし体験価値を大きく変える可能性があります。
AI時代の競争優位はどこに生まれるのか
これからの時代、
企業はますます高度な技術を導入していくでしょう。
しかし競争優位は、
単に優れた技術を持つことだけでは生まれません。
重要なのは、
人が安心して使えること
です。
顧客が安心できること。
社員が迷わず行動できること。
組織が学習し続けられること。
その体験設計こそが、長期的な成長を支える基盤になります。
最後に
私たちは長い間、
「問題解決とは物理的な改善である」
と考えてきました。
しかし次の時代は違うかもしれません。
物理的な世界を大きく変えなくても、
人の感じ方を変えることで大きな価値を生み出せる。
それが心理的ムーンショットという考え方です。
皆さんの会社やサービス、あるいは日常生活の中に、
「分からない」を「分かる」に変えるだけで大きく改善できる体験
はありませんか?
ぜひ皆さんの考えもコメントでお聞かせください。
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この記事は2026年6月16日にLinkedInで公開したものです。LinkedInの元記事でコメントする
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